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名古屋高等裁判所 昭和45年(う)344号 判決

主文

本件控訴を棄却する

理由

本件控訴の趣意は、弁護人森田和彦、同小栗孝夫が連名で作成した控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官本多久男名義の意見書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

一、控訴趣意第三点(法令適用の誤り)について。

所論は、要するに、愛知県公安条例(以下、単に県条例という。)は、(一)、憲法の保障する表現の自由の一態様たる集団行動を一般的に禁止し、わずかに、具体性のない不明確な基準をもつてする県公安委員会の許可により、その禁止が解除される場合のありうることを認めているにすぎない。また、(二)、右のように、県公安委員会をして、集団行動を許可させる場合においても、具体性のない不明確な基準のもとに、きわめて広汎な対象事項について条件を付することを可能ならしめている。しかも、(三)、このような条件が違法、不当な場合においても、これに対処する有効な救済手段を定めていないから、全体として、表現の自由を保障した憲法二一条に違反することが明らかである。しかるに、原判決が、このような県条例を合憲であると判断したのは、明らかに憲法の解釈を誤つたものといわざるを得ない、というのである。

そこで、考えてみると、行進又は集団示威運動(以下、単に集団行動という)。は、それが公共の福祉に反するような不当な目的又は方法によるものでないかぎり、本来国民の自由になしうるところであるから、いわゆる公安条例により、これらの集団行動につき一般的な許可制を定めて事前に抑制するがごときことは、表現の自由を保障した憲法二一条の趣旨に照らして到底許されないところといわなければならない。しかし、集団行動は、単なる言論、出版等による表現とは異なつて、その性質上、ときとして、一般公衆の生命、身体、自由、財産ないしは公共の安寧、秩序を侵害し、又はこれに脅威を与えるようなことのありうることもまた、これを否定することができないから、このような集団行動にみられる特質にかんがみると、地方住民の安全と利益を保持すべき責任を負担する地方公共団体において、地方公共の安寧が不当な集団行動によつて侵害されるのを防止するための必要かつ最少限度の事前の措置として、特定の場所又は方法による集団行動につき、合理的かつ明確な基準のもとに、あらかじめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめることとし、とくに、公共の安寧に対して明らかに差し迫つた危険をもたらすことが予見されるような集団行動にかぎつて、これを禁止しうる旨の規定を、いわゆる公安条例のうちに設けることにしても、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に侵害することにはならないものと解すべきである。

これを本件の県条例についてみると、まず、その四条一項は、集団行動の許可に関して、「公安委員会は、第二条の申請があつた場合には、行進又は集団示威運動が直接公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起することが明瞭であると認める場合の外、これを許可しなければならない。」と規定し、これによつて、公安委員会をして許可を義務づけており、不許可となしうる場合を厳格かつ最少限度に制限しているのであるから、県条例が集団行動を一般的に禁止しているものといえないことは勿論であり、また前記の基準に照らしてみても、県条例四条一項が憲法の保障する国民の自由を不当に制限しているものであるなどとは到底解せられない。

つぎに、県条例は、その四条三項において、所論のいわゆる条件付与につき、「第一条の許可に際し、公安委員会は、公共の安全又は公衆の権利を保護するために必要と認める場合には、前条に掲げる事項について必要な条件を付することができる。」と規定している。ところで、この種の条件が事実上集団行動の自由を制約する機能を営むことのありうることは、なんぴともこれを否定し得ないところであろう。したがつて、上述のような憲法の趣旨に照らすならば、この種の条件付与が許されるための基準ないし要件としては、集団行動自体の許否を決する場合におけると同様に、「もし、なんらの条件をも付することなく集団行動を許すとすれば、その集団行動が公共の安寧を維持するうえに直接危険を及ばすことが明らかな場合」に限定さるべきであり、またこのような場合に付しうる条件の内容も、「公共の安寧を保持するうえに必要かつ最少限度のもの」にかぎらるべきものといわなければならない。しかるに、右摘録にかかる県条例四条三項は、単に「…公共の安全又は公衆の構利を保護するために必要と認める場合…」と定めているにすぎないから、県条例の定めているこのような基準は、一見すると、集団行動自体の許否を決する場合のそれに比較して、はなはだしくゆるやかに過ぎるものといわざるを得ない。しかしながら、県条例といえども、これが憲法の保障する国民の自由を不当に制限する目的ないし趣旨にいでた立法でないことは勿論であるから、このような視点にたつて県条例四条三項を同条一項と総合して合理的に考察するならば、右四条三項は、公安委員会をして、単に、「公共の安全又は公衆の権利を保護するために必要と認める場合」であれば、直ちに集団行動に対して、条例三条に定められた対象事項につき必要な条件を付することを許容するという趣旨にいでたものと理解すべきではなく、かえつて、上述のように、もし、なんらの条件をも付することなく集団行動を許すとすれば、それが直接公共の安寧を危険ならしめるような事態を惹起することが明瞭であると認められる場合にかぎり、公共の安寧を保持するうえに必要かつ最少限度の条件を付しうる、という趣旨にいでたものと理解すべきである。県条例四条三項は、まさにこのようなものとして理解すべきであり、また、このように解釈することによつて、はじめて、集団行動に対し条件を付することが、真にやむを得ない最少限度の措置とし、憲法に適合する所以を是認することができるであろう。

ちなみに、本件証拠によると、県公安委員会は、被告人の参加した本件集団行動につき、(1)、行進の隊列は四列以下の縦隊とすること、(2)、行進の隊形は、おおむね二〇〇人をもつて一隊とし、各隊の距離は約三〇メートルとすること、(3)、うずまき行進、蛇行進およびことさらに隊列の巾を広げ、もしくは遅足行進、停滞その他一般の交通に障害を及ぼすような形態にならないこと、(4)、行進中においては、旗竿を振り廻し、又は横に倒すなど、人に危害を及ぼすような状態にならないこと、という四条件を付したことが認められる。ところで、これらの条件は、勿論、その文言どおりに形式的に理解さるべきではなく、上述のような条件付与の本質にたちかえつて、これを合理的、機能的に理解しなければならないのである。そして、このような観点にたつて、これらの条件を検討するとき、われわれは、これら各条件について、いずれも、「公共の安寧に対して直接危険を及ぼすような…」という趣旨の実質的制限が伴つていることを看取することができるのである。本件の集団行動に対して、県公安委員会の付した条件の意味、内容をこのようなものとして理解するとき、これらの条件は、前記の基準に照らして、まさに、やむを得ない最少限度の制限ということができ、したがつて、これがなんら憲法に牴触するものでない所以を首肯することができるものというべきであろう。(そして、原判決が、その挙示する証拠によつて正当に認定した原判示事実によれば、被告人の本件行為が、まさに前記のような意味における条件に違反したものであることは明らかであつて、疑いを容れないところというべきである。)

所論は、更に、条県例においては、条件を付しうる対象事項が不必要に広汎にわたつており、このことが集団行動の自由を不当に制限する機能を営むこともまた、これを否定し得ない、と主張する。しかし、条件付与の基準およびその条件の内容に関して、県条例四条三項の規定を前説示のように理解する以上、そして、しかもその条件付与の対象事項が県条例に定める程度の範囲にとどまるかぎり、その範囲が多少広いからといつて、そのことのゆえに、直ちに県条例が、集団行動の自由を不当に制限することになるなどとは到底解せられないから、右の主張は採用することができない。

また、所論は、県条例には違法、不当な条件付与に対する有効な救済規定が存在しないことを理由として、県条例の違憲性をあれこれ主張する。なるほど、県条例に違法、不当な条件付与に対する救済規定が存しないことは、所論の指摘するとおりであるけれども、その立法政策の当否は別として、このことのゆえに直ちに県条例が憲法二一条に違反して無効であるとする所論の採るを得ないことは明らかである。

以上の説示によつて明らかなとおり、県条例に所論のような憲法違反のかどがないとした原判決は、結局正当であつて、これに所論のような違法のかどはなく、論旨は理由がない。

二、控訴趣意第一点および第二点(いずれも法令適用の誤り)について。

所論は、要するに、(一)、条件違反の罪を規定した県条例五条一項後段は、集団行動の単純参加者をも処罰する趣旨の規定ではない。(二)、仮に、右条例五条一項後段が単純参加者をも処罰の対象とする趣旨の規定であるとすれば、それは憲法の保障する表現の自由に対する不当な制限以外のなにものでもないのであつて、憲法二一条に違反して無効であるといわざるを得ない。しかるに、原判決が右条例五条一項後段につき、これが単純参加者をも処罰する趣旨の規定であると解釈し、しかも、同条項をこのように解釈しても、憲法二一条に違反するものでないと判断したのは、法令の解釈を誤つたものである、というのである。

しかし、所論の県条例五条一項後段は、条件違反の集団行動に単に参加したにすぎないものをも含めて、条件違反の行為にいでたものをすべて処罰する趣旨の規定であると解すべきである。たしかに、このような県条例の規定は、他の多くの地方公共団体によつて制定せられた公安条例に比較して、かなり特異なものといわざるを得ないであろう。しかしながら、公安委員会において条件を付しうる場合の要件およびその条件の内容を前説示のように厳格に理解する以上、条件違反の行為は、とりもなおさず、直接公共の安全を危険ならしめるような事態を惹起する行為にほかならないのであるから、その違法性の程度は、その行為主体が所論のいわゆる単純参加者である場合をも含めて、相当高いものがあることは、これを否定することができないのである。このような観点にたつて考察すれば、集団行動の単純参加者をも含めて、条件違反の行為にいでたものに対しては、すべて刑事罰をもつて臨むこととした県条例五条一項後段の規定は、その立法政策の当否は別として、必ずしも所論の強調するような不合理なものではないといわなければならない。もとより、単純参加者をも処罰の対象とした県条例五条一項後段の規定をもつて、憲法二一条に違反して無効であるという所論のごときは、到底採るを得ない。論旨は理由がない。

三、控訴趣意第四点(法令適用の誤り)について。

所論は、要するに、条件違反の罪を規定した県条例五条一項後段は、明らかに白地刑罰法規であるから、罪刑法定主義ないし憲法三一条に違反して無効である。したがつて、あえてこの違憲の条項を適用した原判決には、憲法解釈の誤りがあるといわざるを得ない、というのである。

そこで考えてみると、県条例五条一項後段のいわゆる条件違反の罪の構成要件が、公安委員会の付する条件によつて具体的に定まるものであることは、なるほど所論の主張するとおりである。しかし、このような条件を、条例自体のなかに、あらかじめ一律に定めておくことよりも、条例の運用にあたる公安委員会において、当該集団行動の実態を具体的、個別的に判断し、かつ地方的状況その他諸般の事情を考慮に容れて、必要かつ最少限度の条件をその都度付しうることにした方が、一層合理的であるというべきである。しかも、このような条件は、すでに説示したような、きわめて厳格な基準のもとに、必要最少限度の範囲においてしか、これを付することができないのであるから、このような限度において、条件違反の罪の構成要件の具体的補充を公安委員会に委ねることにしても、これが罪刑法定主義の原則ないし憲法三一条に違反することにはならないものと解すべきである。したがつて、原判決に所論のような違法はなく、論旨は採用することができない。

四、控訴趣意第五点(事実誤認と法令適用の誤り)について。

所論は、要するに、本件の条件付許可処分に関する県公安委員会の運用の実態は、明らかに集団行動の自由を著しく制限するものであつて、憲法二一条に牴触する違法、無効のものである。この点について原判決の説示するところは、事実関係を誤認し、かつ、その法的評価を誤つたものといわざるを得ない、というに帰着する。

しかし、本件の集団行動に関して、県公安委員会ならびにその下部機構である警察当局のとつた措置について、原判決の認定説示するところは、本件の証拠に照らして、これを正当として是認することができる。また、この点に関する原判決の説示に所論のような法的評価を誤つた意味のかどがあるというようなことも、これを発見することができない。されば、本論旨もまた、その理由がない。

よつて、刑訴法三九六条に則り、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

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